世間ではこれってお調子者って言うんでしょうかね?でも、冷めた日々を送るよりずっと幸せな1年でした。

月最低1本あげるためには行かなくちゃ。とにかく投げまくらなくっちゃ。という強迫観念に駆られて、特に月末が近づいてくるにつれて焦ったり…。「遊び」なんだからと自分に言い聞かせつつも正直「バカ」になっていました。今、その目標も無事達成することが出来、大きな歓びとともに、やっと冷静(ちょっとだけ)になれた自分がいます。

ま、釣り人の最終目標は「うまくなりたい」と言うよりは、「釣りたい」だと思うのでちょっとニュアンスが違うかもしれないのですが、例えばゴルフはスクールがある。教え魔みたいなひともそこら中にいて、たのまんでもいろいろ教えてくれたりする。対して釣りのうまい人が決まって言うことは、「うまくなりたかったらうまい人と一緒にいけ」。「教えてやる」ではなく、「一緒に行け」なんですよ。前時代的だと思いません?何かを始めるに当たって、先人の懇切丁寧なお膳立てと教えがあるのが当たり前のような今の世の中で、シーバスフィッシングは、「最初の1本」にもかなりの時間と労力を要したわけ(僕の場合)。そうだからこそ、得られた感動も大きかったし、創造的かつ能動的、ようするに「バカ」的に取り組めたのでは、と思います。

最初にもらった感動の大きさ、または種類が、その後の「バカ」度合いを左右したのかも…。

●比較的労せず、T.Aに導かれて体験した「感動」。
●始めた初日、わけもわからずいきなり88センチをあげた「感動」。
●悩みまくって、極寒の中投げまくったあげく、やっと釣れた「感動」。

自分ののめり込み方を振り返って思えば、釣れない自分の横でT.Aは釣ってみせるという経験をさんざんさせられたからこそ、「渇望」または「ムキになる」という、「バカになる下地」が自分の中に醸成されたように思います。そういう下地づくりがあればこそ、大きな「感動」と、能動的に動けた1年間があったのかもね。

つまり、うちのT.Aは絶妙な匙加減で僕を導いてくれ、おかげで頼まれもしないのに「毎月最低1本はあげる」という目標をかかげた「バカ予備軍」を一人作りあげてしまいました。さらには、自分の釣果がアップされる「感動」を味わせてくれたこのHP(by推進長)が「バカ」に拍車をかけてくれたのです。

ある程度人生経験が豊富な方にはわかっていただけると思うのですが、「ひとづくり」という観点で見れば、成長(その個人にとっては退行かも?)してもらうために、「感動してもらうこと」ってかなり重要なファクターだとつくづく思った次第でした。
…って僕はかなり某団体に影響されてるなぁ(泣)。「バカ」になったおかげで、

●月ごとのシーバスのパターンも少しはなぞらえることができたのかな? 
●釣れる確率もちょっとは上げれたのかな?
●「そこそこ」の入り口ぐらいには立てたのかな?
●ま、そんな大層なもんでもないか。
●でも日々充実しています。

与えてもらった「感動」から、自らで勝ち取るもっと大きな「感動」にむけて、来年はどんな「感動」をしようかな?

P.S...推進長、月3本はこらえてください。船ジギングもちょっと…。      (text/ぶちょ)